もちもちの猫のほつれた右手

だいたい付き合っているヒモの話 不定期更新

同居人の話

喧嘩というかもうどうにもできない辛さを吐き出して、呪詛を書いていた時はあまりにも病んでいたなあと思う。内容は数ヶ月経った今でもだいたい変わらない。全然解決してない。

でも今も愛している、どうしようもない人だけど。月並みな言葉で言えば、彼が好きだし、愛しているって、なんの後ろめたさもなく言える。

 

ヒモ氏との関係の名前が恋人から同居人になった。

私から別れを切り出した。

同居はまだ続くつもり。お金ないしなー。

 

この話は別れて一週間とちょっとした矢先に書いている。投稿してる日はまた別かもしれないけれど、一週間でもう書けるのか、という思いでしかない。

当日あんなに泣いても次の日にはお腹がすいたし、出かけにも行けた。いつものようにメイクして髪をセットして、充電器から携帯を外して、香水を振って外に出た。

冬の風を頰に受けながら、起き上がれないくらいつらいことなんてなかったんだな、って思った。どんなに辛くても悲しくても、こんなものなのかって。一週間もすれば薄れていくんだって。振り返るまでもなく寂しかった。自分のことを薄情だと思った。ショーウィンドウに映る私は目が腫れて死ぬほどブスだった。

 

今日、これを書いている日に会社の人と家賃の話になって、そこから同居人の話になり、その人やめたほうがいいよって言われた時に今しかないだろう、今言わなかったらもう言えないだろうと思ってしまった。

でも聞いて、そうかもしれないけれど、別れました、この前。って言ったらすごく驚いた顔をして、

だから同居人って言ってたのかーそういうポリシーの人なのかと思ってた、なんて、どうでもいいことを口走っていた。

 

それはそういうポリシーなんですけど。

まあいいや。

 

青森から出てきて、実家にも帰れなくて、あの家を追い出されたら、あの人どこにいくんだろ。

なんて会社の人の前で言ってしまった。その下りでしばらく話して、会話の最後に、会社の人に初めて言いました。現実味を帯びてきましたね、なんか、って、またいらないことを話してしまって。

 

そんな話が自然とできてしまって。

誰かに、例えば会社の仲良い先輩とか、そのレベルの少し離れた関係性の人に、別れたことを言える。それくらい、自分の中でそれが事実として落ちてきたんだな、と思った。それを止められなかった。それも一週間でできるんだって愕然とするね。本当に改めて書くと。

今もびっくりするほど普通に生きている。普通に働いて普通にご飯を食べて普通に寝ている。

 

でも今日話してみて思ったのは、いまでも同居人のことをあまり悪く言いたくない。ロクでもない人だと思って欲しくないんだな、って思った。

ヒモを育てちゃうダメな女みたいな、そういうキャラで通したほうがいいのかなって思ってついつい悪く言っちゃってその度に辛くなる。

本当は誰にもあの人がダメな人間だと思って欲しくないよ 生きるのがちょっぴり下手なだけ。優しくてかっこよくて、甘えたで賢い、大きな犬だよ。

 


抱きしめられるとまだ涙は出るけれど、関係を戻そうとは思わない。ギュってしてくれないんだねって言われて初めて抱きしめ返してあげなかったことに気がつく、それくらい、すこしだけ気持ちは離れて落ち着いてきた。

でももう、それは私の問題でしかないけれど、なんども試した結果、解決策を出すことすら億劫になってしまった。彼との対話に、もう疲れてしまった。この先なんども少しだけ真剣な話をしようとするたびに何もできないんだと思うと、いや、声を出せばいいだけなんだけどもう君が怖くなってしまった私のせいだけどさ。君と話し合うことができない辛さにもう耐えられないよ。

 

全部私のせいで、君のせいなんかじゃないよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

どんな日だったか全然覚えていないけれど、言われたことはよく覚えている。私は切り出す前から泣いていた。本当は少しでも泣いたり怒ったり、喚いたりしてくれたら、私だって諦められたのかもしれない。でも君は理性的で優しいから、すこしだけ悲しい顔をして抱きしめるだけで、引き止めてなんてくれなかったね。


君が君の幸せのために旅立つというのなら 俺は止めないよ。

口に出すということは、なにか考えがあるんだろうし。

うんまあ、(そんなに泣くほど辛いなら)無理しなくてもいいんじゃないかとは、思うけど。

でも君は家族だから。

 

でも俺は。

君がいなくなったら寂しいよ。

 

 

 

私も君のことを家族だと思っていて、きっとそれだけは一生変わらないんだと思う。唯一他人の家族。だから、きっと私がいなくても、幸せになってほしいと心から願えるよ。身勝手でごめんね。

 

ああでもまだ、半身がなくなったかのように辛いんだなあ。いつか銀色の球体のようだと言われた私たちが。私の一部が欠けていると、そう思える。

それだけは少し、嬉しい。

 

呪詛

もうやっていけないと何度思ったかわからないし、家を出て行って欲しいとはきっとそれよりも多く思っている。

シンクには洗っていないお皿が積み重なって、料理をするのが億劫になる。着る服がなくなってから洗濯機を回す。髪の毛が床に落ちているのが見えるけど、見なかったことにする。トイレ掃除をして欲しいと何度か頼んでいるのに一向にやる気配はない。

前日ヒモが作ってくれた夕飯をお弁当に詰めておくのに、先週は一回も持っていくことができなかった。冷蔵庫に入れているうちに忘れてしまう。障害じゃね?とは何度か言われたけれど、特に気を悪くしている感じではない。なぜなら彼は本気で私にことをバカだと思っているし、私も彼のことを社会不適合者だと思っているからだ。

最近はパスタを作る時にちょっとした小競り合いになりがちだ。そろそろパスタが嫌いになりそう。

尊敬できなくなったら、興味がなくなったら、終わりなのだと思う。何をしてもどうでもいいと思うようになったし、尊敬もしなくなった。相変わらず頭はいいなと思うけれどそれだけだ。私以外の人と会話をして、話の通じなさに絶望すればいいのにと思う。

私は意思がないように振る舞うけれど、それでいてすごく我が強くて自信があるので、人の基準には合わせられない。合わせたくない。どうしたらうまくやっていけるだろうと思うけれど、具体的な案を何も考えたくない。

揉めるたびに「あの時解決しておけばよかった」という気持ちは呪いのように積み重なっていき、あ、あの嫌なやつだ、と体が勝手に反応する。だからと言って今回も解決できはしない。私はもう彼がそうなってしまった時に会話ができない。やり過ごすしかない。彼も私と話ができないからいらいらしていく。

それでも好きだと。忘れた頃に思うのだろうけれど。

 

早く仕事がしたい。もうこの家に居たくない。

「ああ、神様。どうしてわたしに、籠の開け方を教えたのですか」

※『リズと青い鳥』 感想 かなりネタバレを含みます。

 

このセリフを聞いたときに、こんなにも尖ったセリフが人にはかけるんだと羨ましくなった。と、同時に泣いた。あんまりにも苦しくて。

 


『リズと青い鳥』ロングPV

 

響け!ユーフォニアム』は吹奏楽アニメで有名ですが、本作はその中の一部であるアニメ映画です。今更見ました。ユーフォニアム見てなくても十分楽しめます。根拠は私。あと百合好きはぜひ。浄化されます。

 ユーフォもドロドロの人間関係で有名になっていたと思いますが、本作もそれにもれず、発言の裏にある思考とか、少しの間とかでリアリティのある会話劇を楽しめます。そういった読み合いが好きな人、だいたいこういうストーリーだろうな、って読めた後にそれを綺麗に描写して踏襲していく気持ちよさが好きな人、吹奏楽やってた人、中高生時代に親友と呼べる女の子がいた人、あと純粋に百合厨は(もう見ているだろうけど)全員見ろ。

 

あらすじ

明るく元気で人の輪の中にいるフルートのエース、希美と、口数の少ないおとなしいオーボエのみぞれ。もともと仲の良いこの二人が「リズと青い鳥」という童話を元にした曲を演奏する中で、関係性を変えていく物語。

 

僕が思うこの映画の見所

「愛しているから手放さなきゃいけない」「愛しているから決断を尊重したい」という思いは、きっと誰もがどちらかくらいには覚えがあるけれど、それは自分自身の特別だと誰もが思っているから、誰にだって刺さるんだと思う。

この映画では最初、明るい希美のあとをひょこひょこと付いて回るみぞればかりが、希美のことを愛していて、希美とずっといたい、そばにいたいという思いが痛々しいほど描写される。けれど、中盤以降、実際はみんなの輪の中にいても希美だってみぞれを愛していて、自分がみぞれの足かせになることを理解していることがはっきり描かれる。

「私、みぞれみたいにすごくないから。普通だから」

「みぞれのオーボエが好き」

そういって、オーボエの才能を開花させていくみぞれと一種の線引きを希美はするのだ。

それは「リズと青い鳥」のなかで、鳥の青く美しい翼をこれ以上奪うことをやめようと、そう決断するリズの姿に重なるのでした。

 

「ああ、神様。どうして私に、籠の開け方を教えたのですか」

というのは改めて美しい台詞で、明るく取り繕うのがうまい希美が、唯一暗い欲望を口に出すのに相応しいんですよね。言葉の選び方の全てが。

 

他にも、上履きを履く時の動作や歩き方、会話の一つ一つ、髪を触る癖、階段での構図、フルートの反射する光などなど、描写としてもものすごく手間がかかっていて美しいです。さすが小説原作、本当に細やかです。あと演奏シーンで普通に泣けます。上手くて。

 

行間を読み解く描写が多いので、退屈だと感じてしまう人がいるかもしれません。小説を読むような映画が好きな人はぜひみてみてね。

あの女同士の暗い執着を含んだ友情と愛情の間の感情がすごく好きです。

絶望日記

本当に疲れたので今日は泣きながら仕事をしていた。

諸事情により一週間早まった新人研修はラストに意味のわからない難易度の課題が課された。課題そのものの難易度もそうだけど誰にも質問しちゃいけないというルールがさらに難易度を加速させるのだった。

 

僕は飽き性の効率厨なので、わからないことがあると10分以下の時間調べてその後は聞くというスタンスを取っている。なので誰にも聞けないのは本当に辛いのだった。

 

このルールがめちゃくちゃ嫌だったので「研修内容について何かありましたらお書きください」というアンケートにボロクソ長文書いたら呼び出されて面談になったのも死にたいのであった。

しかし面談がなかったら意図がわからなすぎて会社を辞めてたであろう。ありがとう上司。そしてきえてくれ。

 

面談中いわく、我々がピンチの時にどうなるのかという態度、個人のスキル(聞けないから本当の実力が試される)などをみて配属先を決めたいから決行したらしい。この人は昔すごいブラック企業にいたので本当はやりたくないんだけどと苦い顔をしていた。

でも、辛いのは慣れるよ。とあっけらかんとして話す上司に私はもうこの人には頼らないだろうなというある種の絶望をみたのでした。この人も板挟みになっているのだとわかるのだけど、基本スキルが高すぎて私は彼を理解したけれど彼は私を理解しなかったのである。

配属決まったら上司変わるからいいけど。

 

会社が何を意図としてこれを決行したかを面談にて理解したので、まあ頑張るしかないのだけど、こんなことも自分はできないのかとこんなに時間取られるのかといちいち感じなくてはいけなくてすごく辛くて泣いていた。悔しいのである。あと我々を長期間ストレスにさらさないためであるのはわかるが最終課題の期間が短すぎて終わらない。

終わらないことを考慮にいれてそれでも働く人はそれでも働かないといけない部署にいれるんだろうなあ。こういうのも含めて適性見てるんだよねまじむり

 

その点喫煙所はダメな人が集まっているので落ち着く。

ハイパー仕事のできる私生活クズたちが寄り集まって頭の悪い話をしているので、頭を使わなくて済むのである。エネルギーを吸われることがないから良い。

甘いタバコは濃いものがおおくて吸うと体に悪いなあといつも思う。でも甘いタバコしか吸いたくないから仕方ない。

 

またエレベーターで職場に戻る。誰とも話をしないのは心が折れそうになるので規則を破ってちょくちょく先輩にチャットを飛ばして泣き言を言う。

 

終わらないので9時まで残業をして(それでも全く終わらないけど)10時に家に着く。

家に着いた途端また涙が出たが、恋人は10時から活動*1を始めるので部屋に閉じこもってしまう。終わったら構ってあげてもいいよというけれど1時まで起きていられない。

ずれた布団のせいで壁と床のつなぎ目が見えていて、それを隠すようにねこちゃんのぬいぐるみが挟まっている。掃除機を持っていないから、少しゴミが付いている気がする。

 

明日は燃えるゴミの日だから家中のゴミをまとめないといけない。

ヒモ氏も家事をしてほしい。

*1:マイクを使って話すので音声的な邪魔になってしまうので部屋には入らない。彼はこれで少額の収入を得ているので私は彼の邪魔はできない。

泣かせた日と正解の言葉

一つのカップルの共依存とクソ感情の話。

あまり読むのをお勧めしません。

 

 

 

 

恋人をこうやってコンテンツとして消費するのもいい加減嫌気がさしているのですが、どうにも書かないと気が済まない、忘れてしまうから誰かに話したいという気持ちがおさまらない。一生治らない病気なんだと思う。

きみのことを書いているよ、とは言っているけれど、実際に記事を見たら、ツイッターを見たら、どう思うだろうか。私にしか見せないような顔を仕草を言葉を再構成して使われて誰に見られるかもわからないところに置かれるのは不安ではないだろうか。嫌ではないだろうか。絶対読んで欲しくないな。

 

最近、ヒモ氏の気持ちがいよいよわからない。ヒモ氏以外の人の気持ちもわからない。ヒモ氏はもともと私の気持ちがわからない。

理解したいと思えるうちが華で、それすら思えなくなったら終わりだな、なんて思うことが増えた。相手に興味を持てなくなったらどうしようって恐怖がたまによぎる。でも興味を失ったからって一緒にいる必要がないと必ずしも結びつくのかを考えると、そうでもないとも思うけど。

彼は頭がいい。神経質に言葉を選ぶことをやめないし、理性的で論理的だ。うつくしいいきものだなあと常々思う。顔もそこそこ整ってるし。でも本当に悲しいほど理解できない瞬間がある。

とか言ってたら叶姉妹が、男と女はもともと分かり合えないのだから性差を勉強すれば対応もわかってくるよ、なんていう記事を今日公開していた。わかってるわそんなこと、と言いたいと同時に叶姉妹に言われるとファビュラスなのでちょっとは考えてみるかみたいな気持ちにもなる。とまで書いたがやっぱり無理だ。考えたくない。この前の激レアイベントの話をします。

例えば、男は論理的で女は感情的、なんてレッテルを貼るのは私は大嫌いで、そんなの個体差によると思っているし、男VS女の構図を生み出すだけだし、私がコミュニケーションを取ろうとしているのは彼であって、男、という生き物ではないと思うのである。男はこういう生き物だからこう扱え、女はこういう生き物だからこう対応しろ、みたいなの、ある程度抽象化された別の生物に接しているみたいじゃないですか。

そう思うのに、なぜか自分自身に対しては違うみたいで。その他大勢の女に対してその他大勢の男がするような対応をしてくれたらいいのにな、と思うことがある。結局、自分たちの問題だと思ってるほぼ全てのことが男女のあるあるに分類できちゃうんだなあと思う。

 

この前、前置きした時だけでいいから、私の話に共感だけしてほしいという話をして少し揉めた。

それがあってから、よく考える。自分の主張ができているだろうか。盲目的に信じていないだろうか。相手を知りたいと思えているだろうか。

全部できてない。恋人が長々と何か話し出したら、最近は聞き流していることも多い。なぜ今その話をするのだろう、だとか、何か話してる彼を見ながら思いたくなかった。昔はどんな話でも、彼のことを知りたいと思ってやまなかったから、全部聞いて理解しようとしていた。それに、弟が幼い時に、今日小学校であったことだとかを話そうとして親に蔑ろに扱われているのを見てきたから、なるべく話は聞いてあげたい、と思っていた。

 

だからこそ、僕もなんて事は無い日常の話をして、相槌をうってほしいのだった。でも、聞いてあげたい、と思っていたのはいつのまにか聞いてあげている、に変わっていたのかもしれない。だからそれを求めるのかも知れない。私が浅ましいんでしょうか。私は彼を愛していないんでしょうか。無償の愛だけが愛ですか。

私だってたまには愚痴もきいてほしいし、そこにアドバイスはしないでほしい。共感されたい。例えば私の指示ミスで後輩が動かなかったとか、私に非があるような出来事で不満に思って口に出したとしても、前置きとして「今は相槌だけほしい」って言ったら、そうしてほしいのだった。とにかく何があっても私を全肯定してくれる存在がいるという安心感が欲しいのだ。

 

と泣きながら訴えていたら恋人も少し泣いていた。びびって私の涙は引っ込んだ。

僕はこの感情の揺れ幅が少ない男が泣いているのを見たことがなかった。常に天秤がつりあっている人だと話していると感じる。だから、これは後にも先にも一度きり、きっと。

彼は、明言できないけれど、強いていうなら解放されたのだという。これが模範的な人類なのかと知ったのだという。そうして、私の肩に頭を置いて、腰に手を回した。電気の付いていない部屋の中で、悲しいくらい冷たい手をしていた。

 

変わってるねなんて言われることが私ですらある。恋人はもっとそうで、彼を知っている人が彼をさす時に、ちょっと変わってる人と呼称していたり、よく付き合ってるねなどと私が言われたり。

案外普通の人だよと思いたいし思うこともある。でもやっぱりちょっと変わってるな、と私も思ってしまう。

 

きっと恋人は自身のそういうところとずっと向き合ってきて、もうずっと前に疲れ果てて諦めてそれでもうわり切って生きているのだ。けれどまた改めて私と自分との差を思い知ってしまってつらいのだらう。

私は私で、この美しく間違いのない人に、普通の人というレッテルを貼られたのだと知った。自分が凡人なのだという諦めがついたとはいえ、まだその傷は癒えないままだ。恋人のように私もなりたかった、と思う*1*2。と同時に、泣くほどこいつは私のことが好きなんだなと思ってしまって暗い喜びを覚えた、のがまた辛く悲しかった。自分はもうどうしようもない。

 

そして特段、終着点のないままこの話は終わりになった。からきっと、また同じようなシチュエーションで揉めると思う。恋人は解決したがっていたが、私は自分の感情を処理しきれなくなったのでまた今度話したいと言った。まだ処理しきれない。感情ってのは厄介やつで、気持ちがぐちゃぐちゃになるとなんの判断も下せなくなる。いつまでも理論武装なんかできないし、相手の言い分と自分の言い分を聞いて終着点を作れそうにない。

私を腕の中に入れながら、彼は何度も「幸せになるんだよ」と言った。何度も何度も繰り返した。

それは私一人だけの幸せを願うもので、自然と、恋人が自分自身を勘定に入れていないことを示唆していた。そしてこの発言には覚えがあって、前にも絶対に分かり合えないと私たちが絶望した時に彼に言われたのだった。

一種の別れの言葉のような、戦力外通告のようなそれは酷く優しく残酷であった。

 

「俺は幸せにはなれないよ」という彼に、私は正解の言葉をかけられただろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:し、恋人に頭の弱い女だと思われているような被害妄想をたまにする。

*2:これはきっと恋人が変わっていると私が思っているという証明だね

もう会えない人がいるなんて嘘だよ

故郷を去った日の話と卒業式の話

 

 

犬の調子が良くなったので飲みに行くことにした。

服屋のバイトが最終日で、上がる時に店長がケーキをくれた。身体に気をつけて、こっちに来たら顔を出して、東京で会えたらご飯をおごるよなんて、月並みだけれど嬉しいことを言われる。綺麗なお洋服に囲まれて働くのは悪くなかったけれど、いつもバイト中は自尊心が削られていた。(なんらか任意の作業があるはずなのに何も指示を飛ばされないから)この仕事はこの子にはできないだろうなって思われているような気がしていた。社員の人のうちの一人とどうしても相性が合わないみたいで、コミュニケーションエラーが多かったのもゴリゴリに自尊心が削られる要因になった。

 服屋の店長は本当に理想的な人だった。あんな大人になりたいとは思うけれど、社会階層から違うような気がする。そんな卑屈なことをあれこれ考えちゃうけれど、白い小さな箱の中にはショートケーキとラムレーズンのチーズケーキが入っていたのをみた時に、全て消え去った。後に残ったのは、店長にはまた会いたいなと思ったことだけだった。大学の実習室で紙皿に乗せて食べたけれど、家でコーヒーでも飲みながら銀の華奢なフォークと陶器のお皿を用意して食べたかった。

会いたい人にはあったほうがいいよ、と飲みに誘ってくれた人が言うので、服屋終わりにちらほら人を誘った。会えないだろうなとか誘う勇気がない人は違う人が誘ってくれたりして、思いのほかたくさんの人とのめることになった。早い時間に家に帰るつもりだったけど帰りたくなくなって、結局2時だか3時までだか店にいた。

誘ってくれたスガさんには本をもらった。

 

鋭さが似合うと思うよ ブログの文体をみてこれだって思ったんだよね

 

桜庭一樹の本を渡してくれた。確かに言葉は美しく鋭く、ガラスの破片のようなのであった。日光を透かして鋭利な輝きを見せるような。

自分の好きな文体で、また自分の目指すところの手本になるようなものを贈られると、純粋に嬉しいし勉強になる。言葉のプレゼントというのはロマンチックだが儚いもので、こうして日記のようにいちいち描き起こさないと日常によって埋もれていく。その点、本はいい。なくならないし感触として覚えておける。本を開くとそこには、あの店の少し暗い照明とマスターの好きな音楽、 少し照れたような顔で贈り物をしてくれた人がいる。あの時にお礼の品送りますねって言ってまだ送ってませんすみません。

 

そのあとはもうなし崩しのように酒を飲んでいろんな人と話した。酔うと饒舌になってべらべら話してしまうのだけど、笑顔で目を見て相槌を打たれても、隣でスマホをいじられてもどちらも辛くなる。なんでこんなに話してるんだろうって急に恥ずかしくなって静かにしようと思うのにまた喋ってしまう。でも酔ってるときは気が大きくなるみたいで、自分が常に正しくて周りの人が勝手に許してくれるとどこかで思っている、みたいな話をしていた。あの自信はどこからくるのだろう。

 

 

次の日は正気に帰って死にたくなったりしていたけれど、朝の空気は清々しかった。雪はまだたくさん道に残っていて、ブーツで踏むたびにじゃりじゃりと音が立つ。バスを待ちながら、ここ最近は新しい生活のことで頭がいっぱいで、振り返ることがほとんどなかったな、と思った。自分は友達いないなって思っていたけれど、会いたい人は本当にたくさんいて、会いたいと駄々をこねたら実際たくさんの人が会ってくれた。

さみしいな、とふと思う。

誘うときも飲む前も全然最後だと思えなかった。毎週飲みに出るような性格はしてないけれど、呼ばれたらまたいつでも飲みにこれるような気がする。大学でばったりと今泉ちゃんには会うし、明日も明後日も実習室で文句を言いながら作業をして、夏には実習で県外に行くような気がする。もっと話したい人もたくさんいて、きっとこれから深い話もできるようになるような気がする。

でも会うのは昨日で最後だったのかもしれない。急にどっと感傷が押し寄せて、風が冷たく感じるようになる。

スガさんはみんな通り過ぎていく、と言っていた。一緒に飲むようになって仲良くなっても、三月になってこの街をでていく。人が一年ごとに入れ替わるあの場所では確かにそうだろう。通り過ぎてしまうことが悲しいことではないけれど、寂しい気持ちはわかるのだ。

 

私もこの街をでるけれど、振り返るとこれまで一緒にいた人たちが手を振っている。

身体に気をつけて。

どこかで会ったらご飯おごるよ。

帰ってきたら顔を見せてね。

またね。

 

 

こっちは寒いし雪も積もるから、どうか気をつけて。

今度は私が奢ります。

こちらこそ会いたいです。

またいつか。

 

帰りのバスで少し泣いた。

 

 

 

 

という文を書いたのが少し前。

 

 

今日は卒業式だった。

東京での生活ももうすぐ1ヶ月経つ。春だからか野菜はそこそこ安く手に入るし徒歩圏内にスーパーが四つある。駅にも近いし百均やホームセンター、コンビニもすぐ行ける。懸念点は卵がいつまでも安くならないことくらい。地元は水曜土曜は卵が一パック98円だったので悲しい。

 

久しぶりに地元に帰ってきたような気もするし、そもそも東京になんか住んでなかったような気もする。実家の犬は相変わらず塩対応のやつとでろでろに甘えてくるやつがいる。

朝早く起きて髪をセットしてもらいに行き、レンタルした袴を着つけてもらう。その会場ですでに二人友達に会う。今泉ちゃんが名前を呼ばれていて、あああの子も今の時間着付けなのね、と思ったけれど、探すのを忘れて卒業式の会場に行ってしまった。

 

会場で卒業旅行にいったグループと合流し、ひとしきり写真を撮る。するとさっき会えなかった今泉ちゃんとシラス氏に見つかる。写真を撮る。この前が今生の別れじゃなくて嬉しいよ。

そうしていると中学の同級生グループ(全員教育学部)に遭遇し、2年ぶりくらいの再会に喜ぶ。その後もしばらく会ってない人にちらほら会う。みんな袴をはいてバッチリメイクで髪もセットしてるのによく気づくなあと思う。もう二度と会わない人もいるのだろうかと思いながらも、再会を喜んで写真を数枚撮ってすぐ別れる。重なった時間は五分程度だけど、それでも会えてよかったと思う。

卒業式が終わってまたいろんな人にあった。父兄もうろちょろしているせいか式が始まる前の三倍くらいの人がいて感心する。女子達の袴がカラフルでめまぐるしく、なかなか会いたい人を探すのが難しい。人混みの中をすり抜けるように歩くのはそれでも嫌いじゃないし、そうしてまで私が会いたいと思える人がまだいることも嬉しかった。

かの店のマスターも宣言通りに来ている。ビビッドピンクのシャツに赤ワイン色のジャケットを着ていて、これが似合う男はとんでもねえなと思うなどしていた。わざわざ卒業式に来てくれるあたり完全に常連たちの父兄である。写真を撮らせてもらうが、肌がツヤツヤで羨ましい。これも酒がもたらす効果なのかもしれない*1

そうしているうちに看護学科の友人*2にも会い、卒業式第二弾が始まるんだなあとしみじみする。そっちの方に出るヒモ氏にはなかなか合流できず、やっと合流したら「見つけられるわけねーじゃん、馬鹿じゃないの」などと罵られる*3。「なんで私が怒られないといけないわけ?」とその場で逆ギレをかまし、その場は収まる。先程の看護の友人のところにヒモ氏を案内し、また三人でエロいことしたいね、などと話す。

 

あんなに飲み歩いて名残惜しく遊びまくった卒業旅行グループも解散はあっさりしたもので、近々潰れる地元のゲーセンでプリクラを撮ったあとはその場で解散になった。これからご飯行ったりしたいなとは少し思ったけれど、皆用事があったり地元にこのまま帰る人もいるみたいだった。

 

多分今日だけで20人くらいと写真を撮った。もしかして自分って友達が多いんじゃないかと錯覚したけれど、勤務地も趣味嗜好もバラバラで、ほとんどの人がもう二度と会わないだろうなって思う。

また会おうね、絶対だよ、なんて話をしたのは袴を返すところまで一緒にいた友達一人だけで、ほとんどの人とは、また明日高校の教室で会うみたいに別れた。

もしもまたどこかで会えたら、昨日会ったみたいに話すだろう、そしてまた明日会うみたいに別れるんだろう。

 

久しぶり。

じゃあまたね。

 

東京には月曜日帰ります。

*1:かくれ家というお店は500円からカクテルが飲める狂った店です

*2:彼女とはセックスのようなことをしたくらい仲がいい

*3:いやしかし、恋人に普段とは違う格好を見せたいという女心くらいかわいいとおもってはくれないか

しまむらで買ったクッションが定位置の彼女

 東京駅は表示がわかりやすいので調べないで適当に歩いても目的地に着くのでありがたい。でも人が多すぎて普通に歩いているだけなのにぶつかりそうになる。みんなキャリーの運び方が下手すぎないか。タイヤを四つ使って体の横にぴったりつける方が絶対いいのに。座ってぼうっとしていると忙しそうに早足で歩く人たちが景色に見えてきて、溶け込めない自分が取り残されてしまったような悲しい気持ちになる。

今日は10時にホテルを追い出されてから特段やることもなく、ニトリで欲しかった布団を触って思いの外触り心地がいいななどと思っていた。すぐに飽きて新幹線に遅れたらやだから早めに行こうかななんて思ったら早すぎて1時間前にホームにいる始末。今は猛烈にサボテンのカツサンドが食べたい。東京駅のどっかにはあるような気がするけど調べる気力もないしそもそももう一度改札を潜るのは良くないのでおとなしく待っている。

 昨日は会社の研修があった。直属の先輩になりそうな人とここ一ヶ月くらい交流があるが、溢れ出るインキャ感で好感が持てる。彼は私の同期*1の女の子に「今日だけで何日分話しました??ww」と煽られていた。6日分と言っていた。話さなさすぎでは。

会社に陽キャが多すぎて本当に疲れる。頑張って話しているのが目に見えるのか、ちょっと偉い人事の人に「色々な人と交流が持てましたか?」と笑顔で話しかけられた。探るような視線を感じたので人見知りなのがきっとバレている。貼り付けたような百点の笑顔で話しかけてくる人は逆にすごく警戒する。

 そういえば昨日会社に行ったら同期が一人増えていた。率直に行ってめちゃめちゃタイプの女の子で、スレンダーな体型とショートカット、眼鏡がよく似合っていた。ローヒールと白い足首がすごくよかったし帰るときは喫煙所でタバコを吸っていた。理知的な話し方をしてプレゼン内容もよかった。後から話しかけに行くと最低限友好的な話しはできるけれど中々返しが独特だったので、たぶんこの人も人見知りだろうと感じた。歳は一個下らしい。昔好きだった女の子にどこか似ていた。優秀なのにインキャ寄りで細い人が好きだ。

  来週始まる新生活、家具家電を揃えるお金が果たしてあるかどうかすごく不安だ。布団セットとマットレスとこたつセットと絨毯とカーテンは最低限欲しい。家電はヒモ氏がわりかし用意してくれそうだ。炊飯器は新品のものがあるので私が持っていく。我が家はこたつがなかったので、こたつを買うのがずっと夢だった。

 今日家に着いたらダンボールを用意しようかなと思う。研修も終わったのであとは来週の引っ越しに向けた準備をしなければいけない。初日はゴキブリよけの煙をたいたり掃除をしたりしたいので、多分ダンボールを一箱あけたら力つきる。キャリーバックを一つ持って行きたいので、ダンボール代わりにキャリーに毎日使う生活用品(消耗品を少しとタオルとか)と次の日着る服を入れて一緒に持っていこうと思う。

服と本と食器のダンボール、もしできたら今部屋で使ってるローテーブルと本棚を一つ持っていきたい。特段持っていきたい大事なものがあまり思い浮かばない。ぬいぐるみくらい。いると思えば全部いるし、いらないと思えば全部いらないという台詞を思い出す。書いてるうちに具体的に整理出来てきて、引っ越すビジョンが明確になってきた。本気で片付けよう。

なんてたわいないことを考えていると気が楽だ。

 実家の犬ズ*2の調子が悪い。みんな10歳を超えているのであまり大したことないような病気でも体力が耐えられなくて死んでしまうことがある。先週一匹手術をしたら、もう一匹も病気が判明した。彼女は月曜日に手術だ。ここ数日はもう手術が終わった方*3の一匹に家族全員かかりきりで、様子がおかしかったもう一匹に構ってられなかった。どうして見て見ぬ振りをしてきたんだろうとやるせなくなる。明らかに様子がおかしかったのに。痛かったし悲しかっただろう。話しかけても尻尾も振らないし、あまり動かないでクッションの上でぼうっとしている彼女を見ていると本当に辛い。名前を呼ぶだけで尻尾を振ってくれて、なんでも食べる食い意地の張った彼女が好きなのだ。

いつかきてしまう別れが辛い。せめてまだ生きて欲しいとずっと思っている。どうして彼らより人の寿命は長いのだろう。

2週間で犬2匹手術なので我が家の家計はとんでもない事になっている。多頭飼いにペット保険は必須だなと感じた。だからあまり新生活の援助も期待できないけれど、自分よりも正直犬に使って欲しい。自分が一月生き延びることより、大事な家族の生命に決まっている。愛しているのに。

昨日から本当に気が気じゃない。彼女が死んだら正直耐えられないかもしれない。

 

*1:彼女はインターンでもう半年ほど会社勤めをしている

*2:我が家は三匹のミニチュアダックスフントがいる

*3:先週手術をしたオス犬はかなり経過良好で、夕方のチャイムに合わせて遠吠えをするくらい普段通りに生活している