もちもちの猫のほつれた右手

だいたい付き合っているヒモの話 不定期更新

泣かせた日と正解の言葉

一つのカップルの共依存とクソ感情の話。

あまり読むのをお勧めしません。

 

 

 

 

恋人をこうやってコンテンツとして消費するのもいい加減嫌気がさしているのですが、どうにも書かないと気が済まない、忘れてしまうから誰かに話したいという気持ちがおさまらない。一生治らない病気なんだと思う。

きみのことを書いているよ、とは言っているけれど、実際に記事を見たら、ツイッターを見たら、どう思うだろうか。私にしか見せないような顔を仕草を言葉を再構成して使われて誰に見られるかもわからないところに置かれるのは不安ではないだろうか。嫌ではないだろうか。絶対読んで欲しくないな。

 

最近、ヒモ氏の気持ちがいよいよわからない。ヒモ氏以外の人の気持ちもわからない。ヒモ氏はもともと私の気持ちがわからない。

理解したいと思えるうちが華で、それすら思えなくなったら終わりだな、なんて思うことが増えた。相手に興味を持てなくなったらどうしようって恐怖がたまによぎる。でも興味を失ったからって一緒にいる必要がないと必ずしも結びつくのかを考えると、そうでもないとも思うけど。

彼は頭がいい。神経質に言葉を選ぶことをやめないし、理性的で論理的だ。うつくしいいきものだなあと常々思う。顔もそこそこ整ってるし。でも本当に悲しいほど理解できない瞬間がある。

とか言ってたら叶姉妹が、男と女はもともと分かり合えないのだから性差を勉強すれば対応もわかってくるよ、なんていう記事を今日公開していた。わかってるわそんなこと、と言いたいと同時に叶姉妹に言われるとファビュラスなのでちょっとは考えてみるかみたいな気持ちにもなる。とまで書いたがやっぱり無理だ。考えたくない。この前の激レアイベントの話をします。

例えば、男は論理的で女は感情的、なんてレッテルを貼るのは私は大嫌いで、そんなの個体差によると思っているし、男VS女の構図を生み出すだけだし、私がコミュニケーションを取ろうとしているのは彼であって、男、という生き物ではないと思うのである。男はこういう生き物だからこう扱え、女はこういう生き物だからこう対応しろ、みたいなの、ある程度抽象化された別の生物に接しているみたいじゃないですか。

そう思うのに、なぜか自分自身に対しては違うみたいで。その他大勢の女に対してその他大勢の男がするような対応をしてくれたらいいのにな、と思うことがある。結局、自分たちの問題だと思ってるほぼ全てのことが男女のあるあるに分類できちゃうんだなあと思う。

 

この前、前置きした時だけでいいから、私の話に共感だけしてほしいという話をして少し揉めた。

それがあってから、よく考える。自分の主張ができているだろうか。盲目的に信じていないだろうか。相手を知りたいと思えているだろうか。

全部できてない。恋人が長々と何か話し出したら、最近は聞き流していることも多い。なぜ今その話をするのだろう、だとか、何か話してる彼を見ながら思いたくなかった。昔はどんな話でも、彼のことを知りたいと思ってやまなかったから、全部聞いて理解しようとしていた。それに、弟が幼い時に、今日小学校であったことだとかを話そうとして親に蔑ろに扱われているのを見てきたから、なるべく話は聞いてあげたい、と思っていた。

 

だからこそ、僕もなんて事は無い日常の話をして、相槌をうってほしいのだった。でも、聞いてあげたい、と思っていたのはいつのまにか聞いてあげている、に変わっていたのかもしれない。だからそれを求めるのかも知れない。私が浅ましいんでしょうか。私は彼を愛していないんでしょうか。無償の愛だけが愛ですか。

私だってたまには愚痴もきいてほしいし、そこにアドバイスはしないでほしい。共感されたい。例えば私の指示ミスで後輩が動かなかったとか、私に非があるような出来事で不満に思って口に出したとしても、前置きとして「今は相槌だけほしい」って言ったら、そうしてほしいのだった。とにかく何があっても私を全肯定してくれる存在がいるという安心感が欲しいのだ。

 

と泣きながら訴えていたら恋人も少し泣いていた。びびって私の涙は引っ込んだ。

僕はこの感情の揺れ幅が少ない男が泣いているのを見たことがなかった。常に天秤がつりあっている人だと話していると感じる。だから、これは後にも先にも一度きり、きっと。

彼は、明言できないけれど、強いていうなら解放されたのだという。これが模範的な人類なのかと知ったのだという。そうして、私の肩に頭を置いて、腰に手を回した。電気の付いていない部屋の中で、悲しいくらい冷たい手をしていた。

 

変わってるねなんて言われることが私ですらある。恋人はもっとそうで、彼を知っている人が彼をさす時に、ちょっと変わってる人と呼称していたり、よく付き合ってるねなどと私が言われたり。

案外普通の人だよと思いたいし思うこともある。でもやっぱりちょっと変わってるな、と私も思ってしまう。

 

きっと恋人は自身のそういうところとずっと向き合ってきて、もうずっと前に疲れ果てて諦めてそれでもうわり切って生きているのだ。けれどまた改めて私と自分との差を思い知ってしまってつらいのだらう。

私は私で、この美しく間違いのない人に、普通の人というレッテルを貼られたのだと知った。自分が凡人なのだという諦めがついたとはいえ、まだその傷は癒えないままだ。恋人のように私もなりたかった、と思う*1*2。と同時に、泣くほどこいつは私のことが好きなんだなと思ってしまって暗い喜びを覚えた、のがまた辛く悲しかった。自分はもうどうしようもない。

 

そして特段、終着点のないままこの話は終わりになった。からきっと、また同じようなシチュエーションで揉めると思う。恋人は解決したがっていたが、私は自分の感情を処理しきれなくなったのでまた今度話したいと言った。まだ処理しきれない。感情ってのは厄介やつで、気持ちがぐちゃぐちゃになるとなんの判断も下せなくなる。いつまでも理論武装なんかできないし、相手の言い分と自分の言い分を聞いて終着点を作れそうにない。

私を腕の中に入れながら、彼は何度も「幸せになるんだよ」と言った。何度も何度も繰り返した。

それは私一人だけの幸せを願うもので、自然と、恋人が自分自身を勘定に入れていないことを示唆していた。そしてこの発言には覚えがあって、前にも絶対に分かり合えないと私たちが絶望した時に彼に言われたのだった。

一種の別れの言葉のような、戦力外通告のようなそれは酷く優しく残酷であった。

 

「俺は幸せにはなれないよ」という彼に、私は正解の言葉をかけられただろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:し、恋人に頭の弱い女だと思われているような被害妄想をたまにする。

*2:これはきっと恋人が変わっていると私が思っているという証明だね