もちもちの猫のほつれた右手

だいたい付き合っているヒモの話 不定期更新

もう会えない人がいるなんて嘘だよ

故郷を去った日の話と卒業式の話

 

 

犬の調子が良くなったので飲みに行くことにした。

服屋のバイトが最終日で、上がる時に店長がケーキをくれた。身体に気をつけて、こっちに来たら顔を出して、東京で会えたらご飯をおごるよなんて、月並みだけれど嬉しいことを言われる。綺麗なお洋服に囲まれて働くのは悪くなかったけれど、いつもバイト中は自尊心が削られていた。(なんらか任意の作業があるはずなのに何も指示を飛ばされないから)この仕事はこの子にはできないだろうなって思われているような気がしていた。社員の人のうちの一人とどうしても相性が合わないみたいで、コミュニケーションエラーが多かったのもゴリゴリに自尊心が削られる要因になった。

 服屋の店長は本当に理想的な人だった。あんな大人になりたいとは思うけれど、社会階層から違うような気がする。そんな卑屈なことをあれこれ考えちゃうけれど、白い小さな箱の中にはショートケーキとラムレーズンのチーズケーキが入っていたのをみた時に、全て消え去った。後に残ったのは、店長にはまた会いたいなと思ったことだけだった。大学の実習室で紙皿に乗せて食べたけれど、家でコーヒーでも飲みながら銀の華奢なフォークと陶器のお皿を用意して食べたかった。

会いたい人にはあったほうがいいよ、と飲みに誘ってくれた人が言うので、服屋終わりにちらほら人を誘った。会えないだろうなとか誘う勇気がない人は違う人が誘ってくれたりして、思いのほかたくさんの人とのめることになった。早い時間に家に帰るつもりだったけど帰りたくなくなって、結局2時だか3時までだか店にいた。

誘ってくれたスガさんには本をもらった。

 

鋭さが似合うと思うよ ブログの文体をみてこれだって思ったんだよね

 

桜庭一樹の本を渡してくれた。確かに言葉は美しく鋭く、ガラスの破片のようなのであった。日光を透かして鋭利な輝きを見せるような。

自分の好きな文体で、また自分の目指すところの手本になるようなものを贈られると、純粋に嬉しいし勉強になる。言葉のプレゼントというのはロマンチックだが儚いもので、こうして日記のようにいちいち描き起こさないと日常によって埋もれていく。その点、本はいい。なくならないし感触として覚えておける。本を開くとそこには、あの店の少し暗い照明とマスターの好きな音楽、 少し照れたような顔で贈り物をしてくれた人がいる。あの時にお礼の品送りますねって言ってまだ送ってませんすみません。

 

そのあとはもうなし崩しのように酒を飲んでいろんな人と話した。酔うと饒舌になってべらべら話してしまうのだけど、笑顔で目を見て相槌を打たれても、隣でスマホをいじられてもどちらも辛くなる。なんでこんなに話してるんだろうって急に恥ずかしくなって静かにしようと思うのにまた喋ってしまう。でも酔ってるときは気が大きくなるみたいで、自分が常に正しくて周りの人が勝手に許してくれるとどこかで思っている、みたいな話をしていた。あの自信はどこからくるのだろう。

 

 

次の日は正気に帰って死にたくなったりしていたけれど、朝の空気は清々しかった。雪はまだたくさん道に残っていて、ブーツで踏むたびにじゃりじゃりと音が立つ。バスを待ちながら、ここ最近は新しい生活のことで頭がいっぱいで、振り返ることがほとんどなかったな、と思った。自分は友達いないなって思っていたけれど、会いたい人は本当にたくさんいて、会いたいと駄々をこねたら実際たくさんの人が会ってくれた。

さみしいな、とふと思う。

誘うときも飲む前も全然最後だと思えなかった。毎週飲みに出るような性格はしてないけれど、呼ばれたらまたいつでも飲みにこれるような気がする。大学でばったりと今泉ちゃんには会うし、明日も明後日も実習室で文句を言いながら作業をして、夏には実習で県外に行くような気がする。もっと話したい人もたくさんいて、きっとこれから深い話もできるようになるような気がする。

でも会うのは昨日で最後だったのかもしれない。急にどっと感傷が押し寄せて、風が冷たく感じるようになる。

スガさんはみんな通り過ぎていく、と言っていた。一緒に飲むようになって仲良くなっても、三月になってこの街をでていく。人が一年ごとに入れ替わるあの場所では確かにそうだろう。通り過ぎてしまうことが悲しいことではないけれど、寂しい気持ちはわかるのだ。

 

私もこの街をでるけれど、振り返るとこれまで一緒にいた人たちが手を振っている。

身体に気をつけて。

どこかで会ったらご飯おごるよ。

帰ってきたら顔を見せてね。

またね。

 

 

こっちは寒いし雪も積もるから、どうか気をつけて。

今度は私が奢ります。

こちらこそ会いたいです。

またいつか。

 

帰りのバスで少し泣いた。

 

 

 

 

という文を書いたのが少し前。

 

 

今日は卒業式だった。

東京での生活ももうすぐ1ヶ月経つ。春だからか野菜はそこそこ安く手に入るし徒歩圏内にスーパーが四つある。駅にも近いし百均やホームセンター、コンビニもすぐ行ける。懸念点は卵がいつまでも安くならないことくらい。地元は水曜土曜は卵が一パック98円だったので悲しい。

 

久しぶりに地元に帰ってきたような気もするし、そもそも東京になんか住んでなかったような気もする。実家の犬は相変わらず塩対応のやつとでろでろに甘えてくるやつがいる。

朝早く起きて髪をセットしてもらいに行き、レンタルした袴を着つけてもらう。その会場ですでに二人友達に会う。今泉ちゃんが名前を呼ばれていて、あああの子も今の時間着付けなのね、と思ったけれど、探すのを忘れて卒業式の会場に行ってしまった。

 

会場で卒業旅行にいったグループと合流し、ひとしきり写真を撮る。するとさっき会えなかった今泉ちゃんとシラス氏に見つかる。写真を撮る。この前が今生の別れじゃなくて嬉しいよ。

そうしていると中学の同級生グループ(全員教育学部)に遭遇し、2年ぶりくらいの再会に喜ぶ。その後もしばらく会ってない人にちらほら会う。みんな袴をはいてバッチリメイクで髪もセットしてるのによく気づくなあと思う。もう二度と会わない人もいるのだろうかと思いながらも、再会を喜んで写真を数枚撮ってすぐ別れる。重なった時間は五分程度だけど、それでも会えてよかったと思う。

卒業式が終わってまたいろんな人にあった。父兄もうろちょろしているせいか式が始まる前の三倍くらいの人がいて感心する。女子達の袴がカラフルでめまぐるしく、なかなか会いたい人を探すのが難しい。人混みの中をすり抜けるように歩くのはそれでも嫌いじゃないし、そうしてまで私が会いたいと思える人がまだいることも嬉しかった。

かの店のマスターも宣言通りに来ている。ビビッドピンクのシャツに赤ワイン色のジャケットを着ていて、これが似合う男はとんでもねえなと思うなどしていた。わざわざ卒業式に来てくれるあたり完全に常連たちの父兄である。写真を撮らせてもらうが、肌がツヤツヤで羨ましい。これも酒がもたらす効果なのかもしれない*1

そうしているうちに看護学科の友人*2にも会い、卒業式第二弾が始まるんだなあとしみじみする。そっちの方に出るヒモ氏にはなかなか合流できず、やっと合流したら「見つけられるわけねーじゃん、馬鹿じゃないの」などと罵られる*3。「なんで私が怒られないといけないわけ?」とその場で逆ギレをかまし、その場は収まる。先程の看護の友人のところにヒモ氏を案内し、また三人でエロいことしたいね、などと話す。

 

あんなに飲み歩いて名残惜しく遊びまくった卒業旅行グループも解散はあっさりしたもので、近々潰れる地元のゲーセンでプリクラを撮ったあとはその場で解散になった。これからご飯行ったりしたいなとは少し思ったけれど、皆用事があったり地元にこのまま帰る人もいるみたいだった。

 

多分今日だけで20人くらいと写真を撮った。もしかして自分って友達が多いんじゃないかと錯覚したけれど、勤務地も趣味嗜好もバラバラで、ほとんどの人がもう二度と会わないだろうなって思う。

また会おうね、絶対だよ、なんて話をしたのは袴を返すところまで一緒にいた友達一人だけで、ほとんどの人とは、また明日高校の教室で会うみたいに別れた。

もしもまたどこかで会えたら、昨日会ったみたいに話すだろう、そしてまた明日会うみたいに別れるんだろう。

 

久しぶり。

じゃあまたね。

 

東京には月曜日帰ります。

*1:かくれ家というお店は500円からカクテルが飲める狂った店です

*2:彼女とはセックスのようなことをしたくらい仲がいい

*3:いやしかし、恋人に普段とは違う格好を見せたいという女心くらいかわいいとおもってはくれないか