もちもちの猫のほつれた右手

だいたい付き合っているヒモの話 不定期更新

凡人だという諦めが本気でついた話

「変わってるね」

と昔からよく言われてきた。

自分としては一生懸命真人間になろうと努力した結果がその一言なのでそのことに絶望したりもしましたが、今考えればどちらかというと嬉しかったのかもしれない。

それは人にはない感性が自分にあるという証明のようにも思えたので。

 

まあそれも、大学に入ってからは言われることが少なくなって、なぜかって仲良くなる人や関係が続く人がみんな、「変わってるね」と言われて育ってきたような人たちばっかりだったからだ。

 

 

変わってるが人にはない感性の証明になるのなら、きっと『社会一般の人に比べて』自分は何らかのものを持っているしそちら側の人間なのだろう、と漠然と思っていた。

 

実際はただ社会に馴染めないコミュ障の無能だったって感じなのですが。

 

それでもやっぱり文字やデザインやなんらか自分が素敵だと思うものへの諦めは捨てきれないし、楽しそうだな自分も混ぜてよ!とは思うので

凡人は凡人なりに少しずつたくさんの階段を上っていこうと思った。

一段登ると、ああ自分の一歩はこの程度の高さでしかないのか、と明らかになってしまうので、また自分の無能さを痛感して情けなくて登るのが怖いこともあるかもしれないのですけど、もうそれは仕方ないんだと思います。

だって才能ないんだし。

 

階段は文字を書くことだったりデザインをすることだったりプログラミングすることだったり家族との関係だったり、社会から見た自分の立ち位置だったりするわけで、自分がなりたいところがなんなのか決めることも、そのためにどうしたいのか細分化していくこともすごく怖いことだけど、一つ一つ積み重ねるようにやっていくしかないよなあと思う。

 

階段を選ぶことで一段飛ばしをする人もいたりするんですけど、わたしはやっぱりえらべそうにないので、段飛ばす人みて焦るのやめようね。

 

おわり。