万引き家族の感想を言うヒモ
※万引き家族のネタバレを含みます
私がヒモのような男と付き合っていることは常々匂わせているので割愛する。
2人で映画を観に行くと観ている場所の違いに驚くことも多い。
例えば私はそのキャラクターの感情だとか場面の見せ方なんかに視点を置くことが多いのだが、
ヒモくんはその映画で監督が何を伝えたいのか、というのを余すことなく理解することに従事している。
万引き家族を今回は観た。その感想を言うヒモくんの話が面白かったので記しておく。
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あの映画は、俺は警察とか検事とか?が取り調べをしているシーンを見て、どんな感想を覚えましたか?ってみんなに聞きたいんだと思うんだよね。
例えばさ、映像美が主軸の映画ってあるわけじゃない?綺麗な絵を見せたいとかならそれにのっとってあー綺麗だなーって思えばいい
けど、あの映画はそうじゃない、何かを考えさせることが目的で、その目的はさっき言ったことだと思うのよ。
それで、
「万引きはダメだけど、あの家族の形は認められて然りだよね」って家族ベースの話をするのか、
「家族として繋がっていたのはわかるけど、もっと違う形があると思うんだよね(法に則った形があるだろう)」って社会的にどう扱われるかベースの話をするか
で、見た人が社会のルールよりも愛とかそういったものを優先する人なのか、それとも逆なのかを見てると思うんだよ。
あれは万引きっていう法律を犯している点で極端だけど、彼らは本質的な活動をしてるわけ。
血がどうとかじゃなくて、自分の損得で選んでるわけ。その結果のつながりだとしても、それでも愛してるんじゃないの。
認められない家族の形って今既にあるじゃん、同性婚とか、DINKSとかホットな話を持って来ると、今は割合それに対して別にいいじゃんって世論があるけど、反対する人とか、そんな家族(とか夫婦)の形嘘だっていう人はまだまだ多くて、
でも自分らさえ良ければそれでいいって思えるかどうか、を俺はあの映画で見てると思うし、俺は自分らさえよければそれでいいと思います
関係ねーよ社会とか。
だってラジオとかテレビとかだけで流れて来る情報だけで価値観を作る時代じゃないわけでしょ、既に。
自分らで好きな意見、好きな情報を取捨選択できるし、自分が正しい、と思ってる行動に対して、それに同意してくれる集団を選べばいいんじゃないの。
と、最後のはおまけですが以上です。
一回見ただけでこういう解釈ができるのはすごいなぁって思います。
私が見ていたのは、あの一家がそれぞれの事情で得だという選択をすることと、あの一家の中に家族愛があったのはどちらも本物なんだなって描写があまりにも美しくてそちらに気を取られました。
リンちゃんがじゅりだって判明して、一人で戻れっていうところも、万引きで捕まったしょうたくんを捨てて夜逃げしようとすることも、おばあちゃんが死んだから埋めようとすることも、全部個人が個人としてそれが得だと思ったから選んだわけで。例えば一般的な家族に反する形だったとしても、元々そうやって集まった集団だし、それに対してどうこうは思わない。
でも、リリーフランキーが、「お父ちゃんな、普通のおじさんに戻るよ」って言って、しょうたが「うん」って言った時に、リリーフランキーは黙って、そこに空白があって、そのとき確かに彼は、「やだ」だとか「父ちゃん」だとか、そんな言葉を待ってたんだよ。
産んでなくても母親になれるし、産んでも母親になれないこともあるんだよ。「あなたが産めないのはかわいそうだけど、産まないと母親にはなれないでしょ」っていうのは、嘘なんだよ。
しょうたが万引きわざと捕まったのは、りんを守るためで、それが悪いことだって明確にわかった後に、妹を守ろうとしたんだよ。
本質的っていうのはこういうことで、血の繋がりとか全く関係なくて、むしろ血でつながっている方が、社会一般の人が夢見る「家族」って理想の形になろうとするからむしろ歪なんだよなって思ってるうちに映画は終わってました。
私の感想としては一回見たくらいではそんなもんでした。ヒモの話が面白かったという話でした。
おわり。